信仰の本質
信仰の定義についてはすでに述べました。では、その信仰の本質をもう少し掘り下げてみましょう。マルコ12章29節ー30節を読みましょう。イエスは、ユダヤ人との問答の中で一番大切な教えは「心を尽くし、……あなたの神である主を愛せよ」と言っています。この場合、 「神を愛す」とは「神を信じる」という意味を含んでいると考えて良いでしょう。なぜなら、神を信じていなければ、神を愛すことは出来ないからです。また、逆も真なりで神を愛していなければ本当に信じているとは言えません。
そこで、「愛せよ」ということばを「信じる」ということばに置き換えて考え、信仰の本質を考えてみましょう。 心、思い、知性、力とそれぞれ日本語に訳されていますが、新約聖書が書かれたギリシャ語の意味と多少ニュアンスが違います。そのため、その原語から意味を判断するのが適当でしょう。 心(kardia)と思い(psuche)は感情という意味で重なる部分がありますが、ここでは区別して考えてみましょう。人は物事を思考したり善悪を判断する意志を与えらました。それは、心(kardia)によって行なうのです。心(kardia)を尽くして信じるとは、よく考えて自分の意志で信じるということです。 思い(psuche)とは魂や人生と訳されることばです。特に自身の感情を表しています。思い(psuche)を尽くして信じるとは、誠心誠意の熱い思いと感情をもって信じるという事です。 そして知性(dainoia)とは、物事を知識として蓄える能力を指しています。つまり、イエス・キリストが父なる神の子である事、イエス・キリストがあなたの罪のために死んだという事、これらの事実を受け入れて神を信じるのです。 最後に、力(ischuo)を尽くして信じるとは、自分自身が持っているすべての力、つまり内面的な力、肉体的な力などすべてによって神を信じるという事です。
このように考えてみますと、信仰とは、人が与えられているすべての資質(意志、感情、知性、肉体的な精神的な力)によって神を信頼する事を指しています。