イエス・キリストの権威
イエス・キリストは例えで自分がどのような人物であるかを明らかにします。その例として「わたしは道であり、真理であり、命である。」「わたしは命のパンである。」「わたしはこの世の光である。」このようなことを言う権威はイエス・キリストのどこにあるのでしょうか。ヨハネ8書12節ー18節を読んでみましょう。イエス・キリストは父なる神から遣わされたと主張します。さらに「自分がどこから来てどこへいくか知っている。しかし、あなたたちは知らない」とも言います。厳密に言えば、イエス・キリストしか真実を知らないのです。誰も天に上った人はいません。ところがイエス・キリストは自分は天から遣わされ父なる神の御言葉を話していると繰り返し主張します。
私は自分がどこで生まれどこで育ったか知っています。それを他の人に伝えたらどうでしょうか。疑い深い人でも私の戸籍謄本を見せれば信じてくれるのでしょう。しかし天には戸籍謄本はありません。イエス・キリストの言葉を信じるか否かは私たち自身の心にかかっているのです。
イエス・キリストは自分の権威で教えているのではありません。その辺を詳しく述べている聖句があります。ヨハネ5章19節ー30節を読んでみましょう。
上記の聖句の鍵は2つあります。
1.「わたしは自分から何もできない。」
2.「また父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。」
自分では何も出来ないことをあえて認めています。同時に、父なる神はすべてを子に任せていると言っているのです。矛盾していそうで矛盾していない言葉です。なぜなら、イエス・キリストは自分の意志では行っているのでもなく教えているのでもないのです。キリストは、父なる神の御心とおりに従順に宣教して、神の御国を伝えたのです。(これは次のトピックです。)
ここに実はキリストの教えの本髄があります。弱い者こそ強いのです。神に自分の心の貧しさを告白する人は、心が満たされます。自分の弱さや欠点、至らないところを認めてこそ、主なる神から力をいただけるのです。